たらの怠惰適当主義

東京下町在住20代男性による、思い考えたこと(たまに行動したこと)をひたすら垂れ流すブログ。アイドル、音楽も雑多に。書きたいことを~~~書く~~~

承認欲求の強い人に困り果て、「自己肯定感」を失う人が増えては困る、の回。

どうも、たらです。

僕はちょっと前まで学生でして、先輩から後輩、そして同期まで、いろいろなタイプの人と会って、交流してきました。

その中で、自分をアピールすること、やりたいことを一丁前に宣言するけれど、それが出来ないと周りにひたすら迷惑をかけ、周りに支えてもらってなんとか達成したと思ったら、全て自分のやったことのごとく吹聴する人がいました。
おそらく皆さんの周りにも、そういう人いるorいたんじゃないかなと思います。

僕はそういう人たちをまとめて「承認欲求の強い人」と表現しているのですが、今回はその人たちのせいで「自己肯定感」を下げている人って、案外多いんじゃないかな、ということへの所見です。


承認欲求の強い人とは?

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学生時代、いろいろな人に会ってきました。

主体的にリーダーシップを執り、サークルをまとめていく人。
ちょっと引っ込み思案だけれど優しくて、団体内での相談役になっていた人。
とにかく盛り上げ役で、全体の士気を高めていた人。

企業とは「利益を獲得する」という観点から勿論異なるので、ここで出会った人たちが同じように社会で活躍するかは判りません。
ですが、上記のような人たちは、自分の強みを活かして是非とも活躍して欲しいなと思っています。頑張れ、みんな。


一方で、前述のような承認欲求の強い人がいるのも事実です。

承認欲求とはwikipediaに以下のように記述されています。

承認欲求(しょうにんよっきゅう)とは、他人から認められたいとする感情の総称である。

引用:https://goo.gl/rDUXaJ


誰しもが多かれ少なかれ、人から認められたいと考えているはずです。
根性論で「人はボコボコにしてこそ成長するんだ!!」という人もいますが、結局それも誰かを見返したい、悔しいという、承認欲求の延長線にあるモチベーションがあります。

しかし、承認欲求があまりに強い人は、周りからすると大変厄介なものです。
当事者からすれば、自分がやりたい!としっかり発言して、やりたいことをやっているのだから、認められたいのは当然という構えでしょう。

しかし、その欲求を満たすにあたって、周りがどれだけ被害を被っているのか、という点に気付けていないというのが、承認欲求の強い人の共通項なのではないでしょうか。

何かを達成するときには「お互いさま」の精神で取り組むことは往々にしてありますが、その「お互い」の精神を忘れ、頑張ってくれた仲間への配慮を怠る。
これこそ、承認欲求の強い人が疎まれる強い理由なのではないでしょうか。


承認欲求の圧力によって、自己肯定感を失う

このような承認欲求の強い人と長く付き合っている人は、「自分は決してああならないようにしよう」という考えが自然と生まれてきます。

その考えが「承認欲求の扱い方」や「人への配慮を忘れない」という方向へ向かえば素晴らしいです。
人のふり見て我がふり直せのことばにふさわしい、改善指向です。

ですが、「自己肯定感を下げて物事に取り組む」という方向に向かう人も多いのではないでしょうか。

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ここでいう自己肯定感とは、以下のような考えのことです。

「自分は大切な存在だ」「自分はかけがえのない存在だ」と思える心の状態。
自分を肯定している感覚、感情などを指す。

引用:http://goo.gl/BsrJLM


仮にあなたが、承認欲求の強い人と一緒に活動をし、その「厄介さ」にうんざりしているとします。
その後、自分が何か新しい活動を始めるとき、その厄介だった事案を思い出し、自分はいつまでも謙虚に、低姿勢で行こうと考えることがあるでしょう。

その考えを突き詰めていくと、やがて自分のやっていること自体に自信を持てなくなることがあります。
自分が大変なのはすべて自分のせいだ、相手のせいにしてはならない、自分をもっと殺して、頑張らなくてはならない。一種の焦燥感に近いかもしれません。

このような考えを続けてしまう人は、自己肯定感を失っているといえます。


承認欲求に惑わされて、自己肯定感を失ってはならない

ここまで読んでくださった人の中にも、自分が当てはまるなあと思った人は多いのではないでしょうか。

そのような方々には、僕から一言。


そんな人たちのことは気にしないで、自分をもっと肯定してくれ


前提として、「最近自分のことを卑下しすぎているなあ」という人たち向けですが、僕は本当にこう思っています。

僕自身、承認欲求が強い人に遭遇し「なんで自分がこの人の代わりに謝っているのかな」や「あの人が頑張ったって言ってる活動、大体はほかの人がやったんだよな」などと思うことが頻繁にありました。

そういう人たちをずっと見てきた結果、自分もああなってはならないという思いが先行し、自分を卑下することが非常に多くなりました。

そして、自分を卑下すると、どんどん精神状況が悪化していき、何をするにも責任感だけが先行し、自分が楽しいと思うことや、ワクワクすることは、人に迷惑がかかるからやってはいけないんだ、という考えにまで至ってしまっていました。


しかし、最近になって「あれ、俺この考え続けてると絶望しかないぞ??何のために生きてんの??」と考えが変わるようになりました。
周りに配慮すること、尊重することはもちろん大切です。けれども、まずは自分が楽しいと思えることが大切なのではないでしょうか。

というか、承認欲求の強い人に困らされた挙句、そのあとも精神面で負の影響を受け続けるって、凄くつらいです。
少なくとも、僕は死ぬほどつらかったです。
人生一度きりしかないし、自分を否定し続ける人生はもったいなって思うんですよね。

…とはいえ、僕もまだまだ自己肯定感は低くて、ことあるごとに「あ、今自己否定した!だめ!ある程度は肯定して!!」と意識するようにしています。


もっと自分らしく、自分に正直に生きることを肯定していきましょ
でも、周りの人への配慮も忘れずに。

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以上、よろしくお願いします!



…なんかこれだけ書くとすげえ胡散臭い\(^o^)/ 
もっと楽しいことも書いていきます!